


生駒山地の東麓にひっそりと佇む竹林寺(ちくりんじ)。
行基菩薩と忍性菩薩が眠る竹林寺を詳しくご紹介します!
竹林寺はこんなところ
寺伝によると行基によって創建されたと伝わり、行基が建立したとされる四十九院の一つ生馬仙房に比定されますが、詳細は不明です。当寺の僧によって文暦二(1235)年に行基の墓所から舎利瓶が発掘されて以降は行基信仰が盛んとなり、叡尊やその弟子忍性などの真言律宗の僧も止宿し中興されました。なお、付近には行基によって開創されたと伝わる寺院(円福寺や宝幢寺)が多く存在し、この地域では広く行基菩薩が信仰されていたことが伺えます。
廃仏毀釈の影響で寺勢は衰退し、一時は無住となるなど荒れた時期もありましたが、平成になって再興され現在の寺観が整えられました。
(現地案内板・生駒市デジタルミュージアムより)
叡尊:真言律宗を興し、西大寺を再興した鎌倉時代の僧。
忍性:叡尊の弟子であり、貧民やハンセン病患者など社会的弱者の救済に尽力した。

境内を散策する
行基菩薩の墓所

竹林寺は本山の唐招提寺によって管理されており、ご覧のように現在では参道に至るまで充分な整備がなされています。

森の中の境内はひっそりと静まり返っており、行基と忍性という二人の高僧が眠るにふさわしい落ち着いた雰囲気です。

境内の中央に本堂が南面して立ち、その左手に庫裏、右手に行基の墓所を配し、西へ100mほど離れた地点に忍性の五輪塔が鎮座します。

かつて神聖な境内と外界を隔てた結界石が一ヶ所に集められており、それぞれ下記のとおり線刻されています。
- (右から)
- 大界外相
- 大界東南角標
- 大界西南角標
- 大界東北角標

本堂にはご本尊として文殊菩薩が安置されています。文殊菩薩は近代の造立ですが、獅子像は蓮華座底部銘から宿院仏師源四郎、源次の作であることが明らかとなっており、なかなかの出来栄えです。
行基は文殊菩薩の化身とされるため、行基ゆかりのお寺には文殊菩薩がよくお祀りされています。

天平二十一(749)年に行基菩薩が喜光寺(奈良県奈良市)において入寂されると、生前の遺言により生駒山の東陵に埋葬されました。ここ竹林寺の墓所がその埋葬地に該当すると考えられています。

墓塔など行基菩薩のお墓であることを直接的に示すものは存在しませんが、盛り土をした約10m四方の墳丘が残ります。
文暦二(1235)年の発掘によって八角形石筒が出現し、そのなかから舎利容器などが出土したと記録されています。そのほとんどは散逸してしまいましたが、現在でも舎利容器の断片が奈良国立博物館に所蔵されています。
忍性菩薩の墓所

忍性の墓所は境内地から西へ少し離れた地点にあります。

奈良県立橿原考古学研究所によって発掘調査が行われ、いくつかのことが明らかになっています。
まず、墓所は一辺10.5m、高さ0.9m以上の方形の墳丘であり、墓穴には花崗岩製の八角柱状の容器が安置されていました。さらに容器の内部には銘文が刻まれた銅製の骨臓器が安置されており、これは先に出土した額安寺(奈良県大和郡山市)の忍性舎利容器と類似しています。
こうした埋葬方法は行基の埋葬方法を倣ったもので、忍性の行基信仰の篤さが偲ばれます。

また、当初は墳丘上に瓦葺のお堂が存在したようであり、その後、墓壇や板石、蓮台の上に円盤形の石などが積まれ塔が組まれていました。現在の五輪塔が建立されたのは発掘調査の後のことです。

忍性だけではなく、周辺には歴代の有縁者も葬られた静謐な空間となっています。
まとめ
行基と忍性という南都ゆかりの二人の高僧が眠る竹林寺。奈良の仏教文化の醸成に大きな役割を果たした二人の墓所を訪ねて、その生涯に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
付近には円福寺や宝幢寺など行基創建と伝わるお寺が複数点在しますので、あわせてお詣りされるのもおすすめです。
最寄り駅の「一分駅/南生駒駅」からは徒歩15分ほどです。

基本情報
- 正式名称
生馬山竹林寺 - 所在地
奈良県生駒市有里町211-1 - 宗派
律宗 - 指定文化財
重要文化財(竹林寺忍性墓出土品)
国指定史跡(行基墓) - アクセス
近鉄生駒線「一分駅/南生駒駅」から900m/徒歩約15分 - 駐車場
参道脇にあり/3台/無料 - 拝観時間
境内自由 - 拝観料
無料 - 御朱印
可/法要がある毎月二日のみ - 所要時間
約15分

参考
現地案内板
奈良国立博物館. 2016.『生誕800年記念特別展「忍性 ―救済に捧げた生涯―」 展覧会図録』奈良国立博物館
生駒市デジタルミュージアム 最終アクセス2025年8月11日