


兵庫県加西市、市街地南方の山中に佇む一乗寺。
国宝三重塔をはじめとする貴重な文化財を詳しくご紹介します!
一乗寺はこんなところ
寺伝によると、孝徳天皇の勅願により法道上人が白薙元(650)年に開山したと伝わります。創建当時は現在地の北側にある笠松山の麓に位置していたようであり、かつての境内地ははっきりしないものの、古法華自然公園内には奈良時代に造立された古法華石仏が残ることから当地に飛鳥~奈良時代の寺院があったことは間違いないでしょう。
花山法皇が永延二(988)年に行幸し、西国三十三所の第二十六番と定め、本堂を大悲閣と命名されました。その後、幾度かの戦火や火災に見舞われて伽藍の一部を失いましたが、姫路藩主本多忠政の寄進によって寛永五(1628)年に本堂が再建されました。

一乗寺は加西市と姫路市、加古川市の市境の森の中にひっそりと佇み、境内には三重塔や本堂のほかにも三棟の鎮守社などの多くのお堂が立ち、最深部には賽の河原があります。書写山円教寺・増井山随願寺・八徳山八葉寺(以上姫路市)・妙徳山神積寺(福崎町)・法蓬莱山普光寺(加西市)とともに播磨天台六山の一つに数えられ、現在でも西国三十三所の番所として多くの巡礼者がお詣りします。
ご本尊の御前立や山内最古の金銅仏である菩薩立像、法道上人像など多数の宝物が安置されている宝物館は年に二日の拝観日が定められていますが、2週間前までにFAXもしくは往復はがきで事前予約をすることでも拝観することができます。
境内を散策する
平安時代に建立された三重塔

境内の入口に立つ笠塔婆には正和五(1316)年の刻銘があり、頂部に頂く蓮弁を刻んだ請花や宝珠が造立年代の特徴をよく表します。

一乗寺の伽藍は山の斜面を切り開いて築かれており、本堂までは162段の石段が続きます。ちなみに、写真の左端に僅かに見える白いお堂が宝物館です。

参道右手の木立の中には五輪塔が鎮座し、地輪には「元享元(1321)年十月十七日 権律師阿弁」の銘が刻まれています。

常行堂は坐禅道場として利用されており、本堂修理期間中は仮本堂とされていました。

常行堂は聖武天皇の勅願により建立されたと伝わりますが、嘉吉の乱(1441年)の兵火を被って焼失し、明治元年に再建されました。

常行堂を過ぎると、いよいよ三重塔が目前に迫ります。

兵庫県内には江戸時代以前に建立された三重塔が十二基存在しますが、そのうち最古かつ唯一国宝に指定されているのが一乗寺の三重塔です。
相輪伏鉢(相輪根元のお椀状の部分)の刻銘から、三重塔は承安元(1171)年に隆西と仁西の勧進によって建立されたことが明らかになっており、県内に限らず国内に現存する三重塔の中でも古い部類に相当します。

塔の形式は三間三重塔婆であり、各層の落ちは上層ほど大きく、軒高の差と軒出は上層ほど小さいといった古塔の姿をよくとどめています。

現在は素朴な風合いですが、組物などに僅かに残る朱の彩色は創建当時丹塗りの塔であったことを伝えます。
中備えの蟇股は左右を別材から作る最初期の本蟇股の様式であり、これもまたその創建年代の古さを物語る意匠です。

初層は中央間を板唐戸、両脇を連子窓とし、地面との間には水はけを良くし、基礎を保護することを目的とした亀腹が設けられています。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は尾垂木三手先です。

ほかにも、屋根がむくり(上方に向かって凸型に膨らむように反っていること)を作り、稚児棟がないといった大変珍しい特徴もあわせ持ちます。

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相輪は塔の総高(21.8m)の約三分の一を占めるほどの大きさであり、水煙は唐草文様とします。
懸造の本堂と秘仏聖観世音菩薩

現在の本堂(大悲閣)は四代目であり、寛永五(1628)年に姫路藩主本多美濃守忠政によって建立されました。なお、各代の本堂の建立年代は下記の通りです。
- 初代本堂
孝徳天皇の勅願によって白雉元(650)年に創建 - 二代目本堂
後醍醐天皇の勅願によって建武二(1335)年に再建され、大永三(1523)年の兵火で焼失 - 三代目本堂
赤松義祐によって永禄五(1562)年に再建され、元和元(1617)年に焼失

桁行九間・梁間八間、本瓦葺、入母屋造の巨大なお堂であり、床下の長い束で支えた懸造が特徴的です。

軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は出三斗、中備えとして撥束があしらわれています。

前方三間の外陣と後方三間の内陣が格子戸で区切られた密教式仏堂の様式をあらわし、外陣の天井には木札が大量に打ち付けられています。
三間の宮殿の中央間にご本尊の聖観音菩薩が、その両脇間には不動明王と毘沙門天が脇侍として安置され、観音の脇侍として不動明王と毘沙門天をお祀りする形式を(比叡山)横川式といいます。
- ご本尊 聖観世音菩薩立像
銅造、像高74.0cm、奈良時代前期 - 御前立 聖観世音菩薩立像(宝物館に安置)
銅造、像高80.3cm、奈良時代時代前期
(ともに重要文化財)
ご本尊と御前立はともに細身で肉感に乏しく、左右対称の瓔珞や衣文、印相、直立した姿勢に至るまでほぼ同じ形式をあらわします。一方で、ご本尊の瓔珞は首回りのみで腰部にはなく、台座の蓮弁を素弁とするなど細部には違いも見られ、総じてご本尊は御前立よりも簡素な作風とします。ご本尊はやや相貌が厳しいものの、微笑みを湛えた口元や丸い面部の輪郭は白鳳時代の特徴を示しており、御前立よりも造立年代がやや遡ると考えられています。
なお、ご本尊は開帳周期が定められていない秘仏であり、前回は2017年5月3日~5日/11月10日~15日に開帳されました。筆者はまだ写真でしか拝したことがありませんので、次回ご開帳の際にはぜひお詣りしたいと思います。

本堂の東に立つ鐘楼は、本堂と同時期に本田忠政によって再建されたものです。
三棟の鎮守社と賽の河原
つづいて、本堂の裏手に鎮座する三棟の鎮守社をご紹介します。

鎌倉時代に建立された護法堂は一間社春日造、屋根は本瓦葺であり、毘沙門天がお祀りされています。

弁財天堂は一元社春日造、妙見菩薩をお祀りする妙見堂は三間社流造であり、両社殿とも屋根は檜皮葺、室町時代に建立されました。


本堂のさらに北側にひっそりと佇むのが開祖法道上人をお祀りする開山堂です。

開山堂脇の石段を上ると、賽の河原はすぐそこです。

賽の河原とは親より先に亡くなった子どもや水子(この世に生まれ出なかった子)が石を積み上げる場所です。
辺りには人気もなく、少々物寂しい独特な雰囲気が漂っていました。
まとめ
人里離れた静かな山中に所在し、古塔の特徴を今に伝える三重塔や数多くの貴重な文化財を有する一乗寺。ご本尊の聖観世音菩薩は秘仏であるため普段は拝観することができませんが、西国三十三所の番所でもあり一度はお詣りしておきたいお寺です。年二回の拝観日を除くと宝物館の拝観には事前予約が必要ですので、ご希望の方は拝観の二週間前までにFAXか往復はがきでご予約のうえお詣りください。
公共交通機関をご利用の場合は、「姫路駅」から神姫バス「社」行きで「法華山一乗寺」下車、徒歩すぐです。ただし、バスは1日に5本しかありませんので、お車でのお詣りがおすすめです。

基本情報
- 正式名称
法華山一乗寺 - 所在地
兵庫県加西市坂本町821-17 - 宗派
天台宗 - 指定文化財
国宝(三重塔、絹本著色聖徳太子及天台高僧像)
重要文化財(本堂、護法堂、妙見堂、弁天堂、石造五輪塔、銅造聖観世音菩薩立像二軀、銅造菩薩立像など)
県指定文化財(鐘楼など) - アクセス
JR山陽本線「姫路駅」・山陽電車「山陽姫路駅」から神姫バス「社」行きで「法華山一乗寺」下車、徒歩すぐ - 駐車場
門前にあり/約40台/300円 - 拝観時間
8:00~17:00 - 拝観料
500円(宝物館の拝観は別途500円) - 御朱印
可/本堂にて - 所要時間
約40分
参考
お寺発行のパンフレット
兵庫県立歴史博物館. 1984. 『ふるさとのみほとけー兵庫の仏像 展覧会図録』兵庫県立歴史博物館
東京国立博物館. 2006. 『最澄と天台の国宝』 東京国立博物館
加西市ホームページ 最終アクセス2024年6月16日
兵庫県立歴史博物館ホームページ 最終アクセス2024年6月16日