【伽耶院(兵庫県三木市)】力強い意匠のお堂が並び立つ修験の寺

兵庫県三木市 伽耶院 本堂
兵庫県三木市 伽耶院 多宝塔
兵庫県三木市 伽耶院 鎮守三坂社

兵庫県三木市、市街地東方の山間部に位置するいん

山中の境内には、江戸期に建立された力強い作風のお堂が立ち並びます。

伽耶院はこんなところ

大化元(645)年に法道上人を開基とし、孝徳天皇の勅願によって建立されたと伝わります。平安時代中期には数十のお堂と百三十余りの塔頭が立ち並び、花山天皇の行幸を得るなど隆盛を極めましたが、羽柴秀吉の三木城攻めと慶長十四(1609)年の大火によって全山焼失しました。その後に本堂や多宝塔が再建され、天和元(1681)年には後西上皇の勅命により大谿寺東一坊から現在の寺号である伽耶院へと改称されました。

兵庫県三木市 伽耶院

伽耶院が所在する三木市は神戸市街地の北西30kmほどのところに位置し、羽柴秀吉による三木攻めが行われた地として有名です。伽耶院は山間部の谷沿いに築かれた山岳修験の寺院であり、江戸時代に再興された境内には本堂や多宝塔が並び立ちます。

ご本尊は平安時代後期に造立された毘沙門天であり、事前に予約することで拝観いただけます。

境内を散策する

伽耶院を護る仁王門と桝形虎口

兵庫県三木市 伽耶院

神戸市北区と加東市を結ぶ県道85号からお寺に続く細い道を東へ進むと、仁王門が最初に姿をあらわします。

門自体は大正時代の再建ですが、とうまどは前建造物の遺物だそうです。

兵庫県三木市 伽耶院
兵庫県三木市 伽耶院

秀吉の三木城攻めに際してその大部分を焼失してしまいましたが、行基作と伝えられる金剛力士像の残闕が安置されています。

現状ではかつての尊容はわかりませんが、かなりの大きさの像であったことが偲ばれます。

兵庫県三木市 伽耶院

仁王門からさらに100mほど先へ進むと、白亜の塗壁と丁寧に切り揃えられた石垣で固められた庫裏へと至ります。

ちなみに、このように綺麗に切り揃えられた石材を積み上げた石垣をきりこみはぎと言います。

伽耶院

庫裏の入口に立つ簡素な門へと石段が続き、その手前の空間は桝形になっています。

桝形とは方形の空間を設けることで、直角に曲がらないと寄せ手を寺院内へと侵入させず、多方向から寄せ手に攻撃することを可能にする構造のことです。秀吉の三木城攻めに際して焼き討ちを被ったことや桝形が残ることから、伽耶院はかつて軍事的性格を帯びる城郭寺院であったことが推察できます。

兵庫県三木市 伽耶院

門内には庫裏が立ち、その前には石庭が広がります。

山間のお寺ではありますが、筆者が訪れた8月でもきれいに手入れされていました。

兵庫県三木市 伽耶院 開山堂
開山堂(県指定文化財)

庫裏の奥には丹後峰山藩主京極右近供の寄進により建立された開山堂があり、堂内には法道上人像が安置されています。

堂内の壁面には極彩色の飛天が描かれ、明暦二(1656)年の墨書が発見されています。

江戸期に再建された三棟の重要文化財と穏やかな毘沙門天

兵庫県三木市 伽耶院 中門

一度境内を出て、中門を通って本堂や多宝塔へ向かいましょう。

慶安四(1651)年に再建された中門(市指定文化財)は三間一戸の八脚門です。

兵庫県三木市 伽耶院
兵庫県三木市 伽耶院

門の外側に安置されているのは慶安の墨書がある二天像。金網で尊容が確認しづらいですが、細身で力強い作風です。

兵庫県三木市 伽耶院

境内の中心部には本堂・三坂社・多宝塔が鎮座し、三棟の建造物はいずれも重要文化財に指定されています。

兵庫県三木市 伽耶院 本堂 多宝塔

本堂は慶長十五(1610)年の再建と伝わりますが、解体修理時の所見や墨書から実際は正保三(1646)年の建立だと推測されます。

兵庫県三木市 伽耶院 本堂

本堂は方五間、本瓦葺、寄棟造の建物で、前面は中央間をさんから、その両脇二間をしとみとし、両側面は前方二間と四間目が引き戸・三間目と五間目を板壁とします。

余談ですが、伽耶院では草引き10本というユニークな入山料が定められており、参拝者によって引かれた雑草が本堂前のベンチに積まれています。

兵庫県三木市 伽耶院 本堂

軒裏はだるえんだるがともに角形のふたのきしげたるとなっており、組物はぐみ、中備えとして間斗束があしらわれています。

堂内は前方二間が外陣、後方三間が内陣で両陣が格子戸と菱格子欄間で区切られる密教式であり、内陣中央の須弥壇上にある宮殿内にご本尊の毘沙門天がお祀りされています。

  • 毘沙門天立像
    木造(楠)彩色、一木造、像高77.2cm、平安時代後期、重要文化財

毘沙門天は左前方をとても穏やかな表情で見つめ、左手に宝塔をさげ、右手に三叉戟を持ち、邪鬼のうえに立ちます。動きがあまりなく、穏やかな像容は平安後期の天部像の特色をよく表し、細身で小柄の体躯からは少し可愛らしさも感じます。全身に施された彩色や宝冠、邪鬼、台座などは後補となっています。

兵庫県三木市 伽耶院 鎮守三坂社

本堂の東側に立つ鎮守三坂社は慶長十五(1610)年の建立と伝わり、祭神は当山の鎮守三坂大明神です。

兵庫県三木市 伽耶院 鎮守三坂社
兵庫県三木市 伽耶院 鎮守三坂社

社殿は三間社流造、屋根は杮葺であり、正面の庇は三間を1本のこうりょうで架け渡す力強く素朴な造りです。緑色のかえるまたや側面のぎょは江戸時代初期の建築様式をよく表します。

兵庫県三木市 伽耶院 多宝塔

『大谷山大谿寺縁起幷記録』や須弥壇の墨書によると、多宝塔は正保五(1648)年に小倉城主小笠原忠真の寄進によって建立されたと伝わります。

兵庫県三木市 伽耶院 多宝塔

方三間の初層は中央間をさんから、両脇をれんまどとし、高欄附きの廻り縁が配され、地面との間には水はけを良くし、基礎を保護することを目的とした亀腹が設けられています。

兵庫県三木市 伽耶院 多宝塔

軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形のふたのきしげたるとなっており、組物は二手先、中備えとして中央間には彩色されたかえるまたが、両脇間にはばちづかがあしらわれています。

兵庫県三木市 伽耶院 多宝塔

複数の柱が複雑に組み合わせられた二層目は四方に扉が設けられ、初層との間には亀腹が施されています。

現在は相輪を戴きますが、江戸時代後期に一度相輪から宝珠へと改められ、昭和60年の解体修理の際に現在の形へと復元されました。

兵庫県三木市 伽耶院 臼稲荷

多宝塔の裏には石臼が積まれた上に小さな祠が鎮座し、臼稲荷と呼ばれます。

この辺りでは田に水を溜めるために古い石臼を用いており、ある干害のときに白衣の老人となった狐が村中の田の石臼を全てとり除き水を均等に配分したそうです。そのことを恥じた村人たちがここに石臼奉納したのが臼稲荷の由緒だと伝わります。

まとめ

力強く素朴な意匠の本堂・多宝塔・三坂社が立ち、穏やかで可愛らしい毘沙門天を有する伽耶院。夏には門前の川に蛍が飛び交い、秋には境内を見事な紅葉が彩るなど季節によって異なる表情が楽しめるのも伽耶院ならではの魅力です。ご本尊の毘沙門天の拝観には予約が必要ですので、ご希望の方は事前にお電話でご予約のうえお詣りください。

公共交通機関でお越しの場合は、「緑が丘駅」から神姫バス「ネスタリゾート神戸」行きに乗車し「伽耶院口」下車、徒歩15分ほどです。ただし最寄り駅までの電車、バスの本数はともに多くありませんので、お車でのお詣りがおすすめです。駐車場は庫裏と中門の前の二か所があり、両駐車場とも10台以上駐車できるので安心してお詣りいただけます。

兵庫県三木市 伽耶院 本堂

基本情報

  • 正式名称
    大谷山伽耶院
  • 所在地
    兵庫県三木市志染町大谷410
  • 宗派
    本山修験宗
  • 文化財指定
    重要文化財(本堂、多宝塔、鎮守三坂社、木造毘沙門天立像)
    県指定文化財(開山堂)
    市指定文化財(中門、行者堂、木造不動明王立像二軀、木造三宝荒神立像)
  • アクセス
    神戸電鉄粟生線「緑が丘駅」から神姫バス「ネスタリゾート」行で「伽耶院口」下車、徒歩約15分
  • 駐車場
    庫裏前と中門前にあり/両駐車場ともに10台以上/無料
  • 拝観時間
    境内自由
  • 入山料
    草引き10本
  • 本堂内陣拝観料
    300円(要予約)
  • 御朱印
    可/庫裏にて
  • 所要時間
    約30分

 

参考
伽耶院ホームページ 最終アクセス2023年10月8日
三木市ホームページ 最終アクセス2023年10月8日