【極楽寺(京都府城陽市)】快慶の最期を伝える阿弥陀如来

京都府城陽市 極楽寺
京都府城陽市 極楽寺
京都府城陽市 極楽寺

京都府城陽市、木津川の畔に立つ極楽寺。

快慶の最後にまつわる新情報をもたらした阿弥陀如来を詳しくご紹介します!

極楽寺はこんなところ

極楽寺は城陽市と京田辺市との境にほど近い、富野荘駅東側の住宅街に位置します。創建に関しては明らかではありませんが、寺伝によると慶長十五(1610)年に再興されたと伝わります。明治期に付近のいくつかのお寺を合併し、多数の仏像を引き取りましたが、行快が手掛けた阿弥陀如来もこのとき極楽寺へと移されました。

なお、極楽寺は観光寺院ではありませんので、阿弥陀如来の拝観には事前予約が必要です。

※行快作の阿弥陀如来が元々安置されていた阿弥陀寺は薬師如来(重要文化財)を有する近くの阿弥陀寺とは別のお寺です

京都府城陽市 極楽寺

快慶の最期を伝える阿弥陀如来

京都府城陽市 極楽寺

境内がよく整備され、明るく親しみやすい雰囲気の極楽寺。

京都府城陽市 極楽寺
石畳の脇に鎮座する小さな地蔵堂
京都府城陽市 極楽寺

平成に入って改修された真新しい本堂にはご本尊の阿弥陀三尊や行快作の阿弥陀如来(快慶/行快作)、特異な尊容の女神像など様々な仏像が安置されています。

  • 阿弥陀如来立像
    木造(檜)漆箔、割矧造・玉眼、像高79.5cm、行快作、鎌倉時代、重要文化財

快慶は法然をはじめとする浄土宗の僧侶たちと親交が深く、像高三尺(約90cm)前後の来迎印を結ぶ阿弥陀如来像を多く造立しました。彼が手掛けた来迎形の阿弥陀如来の様式をあんようと称し、衣文線や襟の弛み、繊細で絵画的な作風が特徴として挙げられます。極楽寺の阿弥陀如来は行快の手によるものですが、師快慶の様式を色濃く受け継いでおり、頭部を群青彩とする点が印象的です。

そして胎内からは複数の納入品が発見され、そのうちの一つである『嘉禄三年法花三十講経名帳』から快慶の最期が判明しました。

貞応二(1223)年に湛慶とともに醍醐寺焔魔堂の諸像を手掛けたのを最後に快慶の消息は不明でしたが、『嘉禄三年法花三十講経名帳』から「過去法眼快慶」の文言が見いだされたのです。この発見により、快慶は嘉禄三(1227)年の時点ですでに没していたことが判明しました。また、同じく納入文書の一つである『現在過去帳』の紙背には「アン(梵字)阿弥陀仏/法橋行快造之」の文言がしたためられており、生前に快慶自らが発願した、あるいは没後追善供養のために造立されたかのいずれかの可能性が高いでしょう。

住職の奥様によると、その作風から慶派の手による仏像であることはなんとなくわかっていたそうですが、快慶に直接関係する仏像であったことは全くの想定外だったそうです。

京都府城陽市 極楽寺
女神像(撮影許可を頂きました)
  • 女神立像
    木造彩色、寄木造、像高約60cm、江戸時代

阿弥陀如来だけではなく、本堂隅に安置されている女神像も注目です。頭上に阿弥陀三尊を戴き、二匹の猿を従え、光背には富士山があしらわれてた珍しい尊容をあらわします。

由来は明らかではありませんが、全国からの登拝者のために富士山周辺で刷られた絵札には「山頂に来迎する阿弥陀三尊」や「合掌して向かい合う二匹の猿」を描いたものが少なくないようです。本像はそうした複数の絵札を手本として作られたと考えられています。
(本堂内の説明板より)

まとめ

快慶の最期を明らかにした阿弥陀如来だけではなく、一風変わった女神像など多数の仏像がお祀りされる極楽寺。本堂内の拝観には事前予約が必要ですが、お寺の方は大変親切に対応してくださるので、ぜひ一度お詣りしてみてはいかがでしょうか。

公共交通機関でお越しの場合は、最寄り駅の「富野荘駅」から徒歩10分ほどです。お寺に駐車場はありませんので、お車でお越しの場合は近隣のコインパーキングをご利用ください。

京都府城陽市 極楽寺

基本情報

  • 正式名称
    安養山極楽寺
  • 所在地
    京都府城陽市富野南垣内81
  • 宗派
    浄土宗
  • 指定文化財
    重要文化財(木造阿弥陀如来立像)
  • アクセス
    近鉄京都線「富野荘駅」から徒歩約8分
    ※富野荘駅には普通列車と準急列車のみ停車します
  • 駐車場
    無し
  • 拝観時間
    要予約
  • 拝観料
    無し
  • 御朱印
    無し
  • 所要時間
    約15分

参考
お寺発行のパンフレット
奈良国立博物館. 2017.『特別展 快慶 日本人を魅了した仏のかたち』奈良国立博物館
東京国立博物館. 2023.『特別展 京都・南山城の仏像』東京国立博物館