本記事では、山麓の寺町通り・居館跡と竹田城までの登山道について詳しく紹介します!
基本情報や見どころをまとめた前回の記事はこちら。
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寺町通り
竹田城の麓、竹田駅のすぐ裏側にある寺町通り。
桜が満開のとてもいい雰囲気の中散策することができました。
こちらがJR播但線竹田駅。運行本数が少ないので、帰りの電車の時間を確認しておくことをおすすめします。
竹田城まで徒歩で往復し、寺町通り・居館跡まで見学する場合は3時間ほど必要です。
寺町通りには、竹田城との所縁も深い4つのお寺が立ち並んでいます。
一番手前にあるのは善證寺。再建時には、竹田城の廃材と旧赤松家臣平位善右衛門の邸宅が使われたそうです(現地案内板より)。
善證寺のお隣は常光寺。元は円山川を挟んだ対岸にありましたが、慶長十五年(1610)の大火で焼失し現地に移転しました(現地案内板より)。
本堂裏の高台には、初代城主太田垣光景の供養塔があります。
常光寺のお隣は勝賢寺。境内には第九代城主桑山重晴の長男、一重夫妻の供養塔があります。
また、善證寺の再建に用いられたと伝わる平位善右衛門の屋敷は元々ここにあったそうです(現地案内板より)。
一番奥にあるのが法樹寺。
現在地に移転したのは廃城後の慶長十一年(1606)ですが、土塀には鉄砲狭間が設けられています。もしかすると陣屋として使用されていた時期があるのかもしれません。
本堂裏の高台には、最後の城主赤松広秀の供養塔があります。
居館跡
古城山の東山麓にはいくつか段丘状の平坦面があって、赤松広秀の居館または有力家臣の屋敷跡と考えられています。
一見ただの更地に見えますが、複数回の発掘調査によって石垣や石列が確認されています。竹田城の一部として、平成二十一年度に史跡に追加指定されました。
平坦地の中ほどには石列が確認できますが、廃城後に畑として利用されていた時期もあるため、いつの時代のものかはっきりしません。
虎口部分と推定される出角の石垣。発展途上のものではありますが、隅部は算木積みになっています。
平成十六年に発生した台風23号の土石流によって築石部分が流出しましたが、資料不足により復元は困難と判断され壊部分は植生土嚢で補っています。被災前の石垣は南北 22m・東西 15mにも及んだそうです。
駅裏登山道で竹田城へ
麓から竹田城までの登山道は、表米神社登山道と駅裏登山道の2つがあります。所要時間はさほど変わりませんが、今回は勾配がなだらかで比較的歩きやすい駅裏登山道を紹介します。
法樹寺脇にある登山口。ここからはほとんど道なりで、随所に標識が設置されているので迷うことはないでしょう。
200mほど登ると登山口のゲートへ至ります。閉城時間中は施錠されており、係の方が開城時間の少し前に開錠してくれます。
なだらかな階段を150mほど登ると、登山道は本格的な山道に。天候によっては非常に滑りやすくなりますので、充分注意してください。
山道を500mほど登ると料金所に到着します。お疲れさまでした。
ここより先にトイレはありませんので、こちらでトイレをご利用ください。
料金所を過ぎると竹田城はもうすぐそこです。城内は北千畳 → 南千畳の一方通行になっています。
次の記事では、北千畳~本丸について詳しく紹介します。
本記事では、竹田城の北千畳~本丸について詳しく紹介します!前回までの記事はこちら。[sitecard subtitle=前回の記事① url=https://www.masktomoe23.com/takeda-[…]